里見義康書状(義康書状)

(天正一八)(一五九〇)年
差出 里見義康
宛所 佐野為綱

豊臣秀吉による小田原攻めの最中、里見義康は、佐野為綱ためつなを介して小弓公方家・足利(喜連川)国朝に忠誠を誓った。北条氏綱と争った第一次「国府台合戦」で足利義明が敗死、小弓公方が滅んだ後、子の頼淳、孫の国朝は里見氏の庇護下で成長した。この後、秀吉の命により国朝は氏姫と婚儀を結び喜連川に知行を与えられた。


里見義康書状
釈文

御兼約之小尻透并実盛之御剣、
此度必高木左衛門尉ニ可被越下候、
先日被仰出候、小弓御本意之儀、
涯分可奉馳走候、為其以一札申上候、
此旨可令披露給候、恐々謹言、
庚寅  
 卯月十八(天正一八年)日 義康(里見)(花押)
 佐野大炊(為綱)頭殿

読み下し文

御兼約の小尻透ならびに実盛さねもりの御剣、
此の度必ず高木左衛門尉にし下さるべく候、
先日仰せ出され候、小弓おゆみ御本意の儀、
涯分馳走し奉るべく候、其の為に一札いっさつを以て申し上げ候、此の旨披露せしめ給うべく候、恐々謹言、