山中長俊書状(山中橘内之状)

(天正一八)(一五九〇)年
差出 山中長俊
宛所 増田長盛

山中長俊は豊臣秀吉の右筆ゆうひつ。喜連川家の成立に関わる内容として①氏姫うじひめへの知行ちぎょう宛行あてがいについて(第一条)、②喜連川の引き渡しについて(第二条)、③足利頼淳の娘嶋子の処遇しょぐうについて(第六条)の3点が記されている。また、同日、古河城の破却はきゃくが命じられている。


足利頼淳書状
釈文

尚以古河之儀、委細石見・天徳寺可被相達候、
以上、
従古河為御礼御局御越条、幸便ノ故令啓候、
一 今度、以田石被仰出候古河姫君様へ被進之候御知行事、可然様ニ以御分別被相渡候者、可忝よし候、彼地祗候衆居屋敷等、是又何とそ其儘被居候様ニとの事候、何分ニも御入魂被頼入由候事、
一 喜連川之儀、大弓(小弓) 御所様へ御引渡候哉、国朝様ハ古河にて御礼申させ候、直ニ其地へ可有御出由候つる、其分候哉、
一 殿下様一昨日廿日駿府へ御着座候、昨日御逗留候、今日懸川(掛川)迄可有御座由候、雨降候間、不可成候歟、但、大井川水出可申候間、可有御発足候哉、未定時分、此書状調申候事、
一 小西摂津・毛利壱岐参候て、唐入来春可被成旨候て、御用意以外頻申候、夜前金子等御支配候て、三百枚被借候事、御人数御書立も御座候、
一 里見殿人質衆事、先書申入候、一段仕合ニ候つる、彼息女被差置候仁事ハ御分別候て、一往可被得御意候歟、但不及其段可被差返候哉事、
一 宇都宮ニ御座候姫君様ハ、御上洛候哉、是又可然様ニ異見専一存候事、
一 里見人質衆并妻子等被上候者、宿之事馳走可申候へ共、猶御分別候て可預御礼候、可随其候、恐惶謹言、
駿府
山橘内
長俊(花押)
八月廿二日
増田右衛様
人々衆中

読み下し文

古河より御礼として御局御越しの条、幸便の故、けいせしめ候、
一 今度、田石を以て仰せ出だされ候古河姫君様へこれまいらせられ候御知行の事、然るべき様に御分別を以て相渡され候わば、かたじけなかるべくよし候、彼の地祗候衆しこうしゅう居屋敷いやしき等、是又何とそ其のまま居られ候様にとの事に候、何分ニも御入魂頼み入らるる由候事、 
一 喜連川の儀、小弓おゆみ 御所様へ御引き渡し候哉、国朝くにとも様ハ古河にて御礼申させ(足利頼淳)、直ちニ其の地へ御出ぎょしゅつ有るべき由候つる、其の分候哉、
一 殿下様(豊臣秀吉)一昨日廿日駿府へ御着座候、昨日御逗留とうりゅう候、今日懸川迄御座有るべき由候、雨降り候間、不可成り候、但し、大井川水出で申すべく候間、御発足はっそく有るべく候哉、未だ定まらざる時分、此の書状調え申し候事、
一 小西摂津(行長)・毛利壱岐参り候て、唐入からいり来春成さるべき旨候て、御用意以ての外頻しきりし候、夜前やぜん金子等御支配候て、三百枚借りられ候事、御人数御書立ても御座候、
一 里見殿人(義康)質衆事、先書申し入れ候、一段仕合せに候つる、の息女差し置かれ候じんの事は御分別候て、一(応)可御意をえらるべく候歟、但し其の段に及ばず差し返さるべく候哉の事、
一 宇都宮ニ御座候姫君様ハ、御上洛候哉、是又然るべく様ニ異見専一せんいつに存じ候事、
一 里見人質衆ならび妻子等、のぼられ候わば、宿の事馳走申すべく候へども、猶御分別候て御礼に預かるべく候、其に随うべく候、恐惶謹言、
尚以て、古河の儀、委細石見・天徳(宝衍)寺に相達 せらるべく候、以上、