増田長盛書状(古河家老衆江増田右衛門ゟ之状)

(天正一九年)(一五九一)年
差出 増田長盛
宛所 南美作守、佐野大炊頭

下野国塩谷郡に三千石を与えられた喜連川国朝くにともは領地内の在地勢力に対応しなければならず、塩谷氏重臣・岡本讃岐さぬきとの間で文挟村ふばさみむら(高根沢町)の領有りょうゆうを争っている。増田ました長盛ながもりは改めて文挟村が国朝の領有であることを言明している。


増田長盛書状
釈文

はさ(文挟)ミ村四拾石余之事、
岡本讃岐と出入御座候条、
遂糺明候処ニ、
国朝御領分ニ候間、
無異儀可被成御知行旨可有御披露御候、
恐々謹言、
         増田右衛門尉
 五月三日        長盛(花押)
  南美作守殿
  佐野大炊頭殿

読み下し文

文挟村四(高根沢町カ)十石余の事、岡本讃岐さぬきと出入り御座候条、糺明きゅうめいを遂げ候処に、
国朝くにとも御領分に候間、異儀なく御知行成さるべき旨 御披露御有るべく候、恐々謹言、