渡辺清絵日記(さくら市指定文化財)

渡辺清絵日記 全35冊
さくら市指定文化財 個人蔵

栃木県塩谷郡熟田村にいたむら(現さくら市)狭間田上組はさまだかみぐみの農民・渡辺清が1902(明治35)年から1924(大正13)年までの19年間に書きつづった35冊の絵日記。
ここには気象、農作業、習俗、衛生・医療、交通、社会のでき事、日々の暮らしなどをほぼ毎日絵を描きながら、方言を交じえた文体で生き生きと記している。
渡辺清絵日記は古文書や伝承だけでは知りえない、この地域、この時代の米作りを中心とした農業と大らかな農村の暮らしを伝える、さくら市の貴重な記録遺産である。

絵日記が発見された板蔵

実質的な絵日記の第一号

1908(明治41)年の絵日記

渡辺清さんの人柄

渡辺 清

1892年~1964年

明治25(1892)年5月4日生まれ 父常五郎、母キチ。4歳年上の姉・マスがいる。
明治35年狭間田はさまだ尋常じんじょう小学校しょうがっこうを卒業し、氏家尋常高等小学校高等科に入学する。この年の夏休みに宿題として初めて日記を書いた。明治39年3月、氏家尋常高等小学校高等科を卒業すると農家の跡取りとしての人生を歩み始めた。
 清の絵画好きは生来のもので、号「渡辺勝山」を自称したり、絵日記の絵にも「清」の落款らっかん風の印を記入することもあった。清は勉学を好み、絵画、読書好きの少年で、『少年世界』を定期購読、俳句、短歌などを雑誌に投稿することもあった。親しい友人に柄木田からきた清次せいじ、斎藤末吉、小倉末吉、猪瀬清作、坂本鉄太郎等がいて、日記にしばしば登場する。
明治41年、16歳の清は一人前の百姓になろうと農業に精を出し、地域の共同作業や若衆組わかしゅうぐみに加わり、消防団、夜警やけいなどにも参加した。12月には塩谷郡片岡村(現矢板市)大槻の平塚丹次の二女チャウ(通称キイ)と結婚し、清の人生の中で節目の年となった。

渡辺 清 17歳の自画像

渡辺清さんの家族・友人

バイオリンを弾く姉・マス
清と妻・キイ
母・キチ(左) 妻・キイ
絵日記をつける清少年
清少年(中央)と友人たち
夜学に励む清少年たち
コトビで読書する清少年

明治40年代の氏家・熟田村

旧奥州街道と松山・上組の宿並

明治40年代の渡辺家の周辺

渡辺家の母屋